「趣味」とは何か?
はじめに
久しぶりの記事になります。三年以上ぶりの執筆なので、読みづらい部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。
今回は、自分にとって「趣味とは何か?」という問いについて、備忘録的にまとめてみます。
趣味について考え始めたきっかけ
最近、就職活動やイベント、その他活動などで自己紹介をする機会が増え、「趣味は何ですか?」と聞かれることが多くなりました。周りの人たちはスポーツや創作活動、文化活動などを趣味として話していますが、自分は「これが趣味です」と明確に言えずにいます。
その理由は、
- どの程度の活動を趣味と捉えるのか?
- 仕事と趣味の境界線はどこにあるのか?
- カタログ化された娯楽を「趣味」と言ってよいのか?
といった点で悩んでしまうからです。結局、迷った末に「研究が趣味です」と答えることが多くなりました。(森博嗣氏のエッセイに「趣味=研究のようなもの」と書かれていたのを読んで影響を受けたのかもしれません。 これはこれでいいけど、地に足ついてない感じがして引かれやすい。)
こうした経験を重ねるうちに、「趣味とは何か?」「趣味はどのような立ち位置にあるのか?」という問いを考えるようになりました。
このテーマを考えるにあたって参考にしたのが、東京大学大学院総合文化研究科の國分功一郎教授の著書『暇と退屈の倫理学』です。
今回は、この本で印象に残った部分を紹介しながら、「趣味とは何か?」について自分なりの結論を考えていきたいと思います。
趣味の一般的な意味
「趣味」という言葉の意味をGoogleで調べると、
「仕事・職業としてではなく、個人が楽しみとして行う事柄。」
と出てきます。特に違和感のない意味に見えますが、「仕事・職業は趣味にはならない」とされている点には少し引っかかります。
というのも、仕事や職業を楽しんでいる人も少なくないはずです。それなのに、この定義では 「趣味=仕事とは別のもの」 という前提があるように思えます。つまり、暗黙のうちに 「仕事・職業は楽しむものではない・つまらない」 という考えが含まれているのではないでしょうか?
そもそも、「楽しむ」とは何なのか……?
例えば、スマホゲームは好きで、プレイしていると楽しいと感じます。しかし、それを「趣味か?」と問われると、素直にYESとは言い切れません。なぜなら、あくまで気晴らしの手段の一つとして楽しんでいるに過ぎないからです。
同じように、銭湯に行くのも好きですが、これも気分転換の一環であり、「趣味です」と自信を持って言えるわけではありません。
また、あらかじめカタログ化されたものを趣味と呼ぶことにも、どこか違和感を覚えます。 というのも、趣味にはもう一つの意味として、
「物事の味わいを感じ取る能力。」
があります。つまり、趣味とは単なる事柄ではなく、感性のあり方そのもの に関わるものだと言えます。
しかし、カタログ化されたもの(例えば「〇〇趣味」「〇〇愛好家」とカテゴライズされたもの)に対して、人々の感じ方が一様になるのだとしたら、それは果たして「趣味」としての事柄と呼べるのか? という疑問が生まれます。もちろん、それらの活動自体が嫌いなわけではないのですが、趣味とは本来もっと個人的な感性に根ざしたものなのではないか と思うのです。
例えば、銭湯に関して言うと、特に「銭湯からの帰り道」に味わう熱った体と周囲の空気との温度差によって生み出される熱的快適性が好きです。(皮膚表面温度が高い状態から冷えていくことで副交感神経が働き、リラックスする感覚が心地よい。特に秋・冬が至高です。ここから銭湯気象学なるものを提唱できるかもしれないとか考えてる。)
一方で、銭湯にいる他の人は、風呂の大きさやサウナ、牛乳などに魅力を感じているはずです。この違いを考えると、僕にとっての趣味(どこに味わいを感じるのか)は、銭湯そのものではなく、「銭湯からの帰り道」にあるのではないか? という気がしてきます。
このように、「気分転換・好きなこと(カタログ化された事柄)」=「趣味」とは限らない という感覚があるのですが、それでは何をもって「趣味」と言えるのでしょうか?
暇と退屈の倫理学から学ぶ
本書は、「暇」と「退屈」という日常的な感覚を哲学的に掘り下げ、人間の生き方や価値観にどのように関わるのか、どのように「退屈」と付き合っていけば良いのかについて述べています。本書で述べられていることをベースに「趣味」について考えていきたいと思います。(ネタバレ満載なので、読んでない人は読んでください。本書についての概要は他の人たちがわかりやすくまとめてくれているのでそちらでも。ちなみに結論だけ読んだ読者は幻滅するだろうと本書では書かれている。が、ここでは備忘録なので諸々省いて結論を引用するので悪しからず。)
まず、初めの章からまず、現代人に対して強烈な一撃が飛んできます。
「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願いがあったかどうかも疑わしい。願いをかなえる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好きなこと」を与えてもらっているのだから。
我々は、資本主義の発展によって豊かになり、自由な時間―すなわち「暇」を手に入れました。しかし、いざ暇ができても、それをどう過ごせばよいのかわからない。そこに資本主義が介入し、あらかじめ「楽しみ」を提供するようになります。結果として、人々は産業によって作られた娯楽や快楽に身を委ねるようになります。
また、資本主義に関連して以下のようなことも述べられています。
レジャー産業は人々の要求や欲望に応えるものではない。人々の欲望そのものを作り出す。
つまり、私たちが「暇の過ごし方を自分で見つけている」と思っていても、実際には生産者が欲望を作り出し、それに誘導されているに過ぎないのです。
この視点から考えると、僕が「カタログ化された趣味(生産者によって提供されるもの)」に対して漠然とした違和感や嫌悪感を抱く理由がわかった気がします。
与えられたものに従うこと自体は悪いわけではないし、実際に自分も好きです。
しかし、与えられた事柄をそのまま「趣味」と呼ぶことには、どうしても違和感を覚えてしまうのです。なぜならば、自分から生まれた楽しみではないからです。
ちなみに消費社会に関するくだりも興味深いです。
人類は気晴らしという楽しみを創造する知恵をもっている。....(略)...消費社会はこれを悪用して、気晴らしをすればするほど退屈が増すという構造を作り出した。
ここでいう「消費」とは、単なる物の消費ではなく、観念の消費 を指しています。この観念の消費には終わりがなく、満足することもありません。
例えば、インスタで話題になっているカフェがあるとします。すると、多くの人はそのカフェに足を運ぶでしょう。ただし、その目的は「美味しいコーヒーを飲むこと」ではなく、「インスタで流行っているカフェに行った」という経験を得ること です。こうした行動は一度きりではなく、次々と新しい流行を追いかける形で続いていきます。つまり、消費者が本当に手にしているのは食事そのものではなく、そのカフェに付随する観念や記号 なのです。ここに満足はないです。
ではこのような状況に対して、どのように暇や退屈と向き合っていけば良いのでしょうか?
本書では、さまざまな思考の軌跡を辿りますが、ここでは結論だけ言うと
まず一つ目は、贅沢を取り戻すことです。ここでの贅沢とは、浪費することを指しています。上で挙げた「消費」とは違います。消費は、「観念の消費であり底なしである」のに対して、贅沢は「物を受け取ること」であり限界があります。
物を受け取ること、それこそが贅沢への道を開く。(略)
〈物を受け取ること〉とは、その物を楽しむことである。たとえば、衣食住を楽しむこと、芸術や芸能や娯楽を楽しむことである。
本書では食を例に挙げてますが、読書を例として考えると「本を読む贅沢」とは、単に情報を得ることではなく、言葉や物語を味わい、思考に浸ることにあるのではないでしょうか。例えば、気に入ったフレーズを記録する、物語の背景を調べてみる、主人公や著者と同じような思考を真似してみる―こうした行為は、まさに「物を受け取る」ことに近いはずです。(和歌を読むと繊細になり過ぎて、枯れかけてる雑草を見て泣きそうになった経験がある)
二つ目は、思考すること。
人は決断して奴隷状態に陥るなら、思考を強制するものを受け取れない。しかし、退屈を時折感じつつも、物を享受する生活のなかでは、そうしたものを受け取る余裕をもつ。
これは次のことを意味する。楽しむことは思考することにつながるということである。
これはつまり、「楽しむこと=思考すること」 である、ということを意味してるはず。この点は「贅沢」とも通じています。楽しむためには、物を受け取る訓練が必要 なのです。単に受動的に楽しむのではなく、「自分は何にとりさらわれているのか?」を常に考えながら楽しみ、楽しみながら考えていく。このプロセスこそが、退屈と向き合い、それを超えていく手段となっていくのかな。
結論: 趣味とは何か 自分なりの解釈
では、題でもある趣味とは何なのか。『暇と退屈の倫理学』のエッセンスを抜き取った上で、自分なりの「趣味とはなにか?」の結論を述べて行きます。
まず、ベースとなる考えは本書の結論にある一節です。
楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。〈人間であること〉を楽しむことで、〈動物になること〉を待ち構えることができるようになる。
この一文の意味をすべて説明すると長くなるため、詳細な解釈は割愛します。ただ、自分なりに簡潔にまとめると、退屈と向き合うには、思考することでその対象にとりさらわれる(没入する)ことが必要だということ。(本書を全部読んでないと、この結論の重み?がわからないので読んで)
これを踏まえて本書の言葉を借りながら、趣味を自分なりに再定義すると、
趣味とは、心地の良い思考の支配によって対象への没入を可能にし、自分の時間を積極的に意味のあるものとしたらめうる事柄•対象
です。
ここで重要なのは やはり「思考」です。思考を通じてこそ、私たちは物事や対象の楽しみ方を受け取ることができます。
本書では「強制」という言葉が使われていますが、趣味に関してはそれを 「支配」 に置き換えました。これは、趣味において、どのような思考に支配されたいかを、いつでも拾うことも捨てることもできる、自分の意思で選択可能であるという意を込めています。
また、「自分の時間を積極的に意味のあるものとする」という部分についての「意味」は、個々人によって異なります。それは 人生を謳歌している実感 でも、退屈と向き合うこと でも、社会に貢献すること でもよいでしょう。この点は、冒頭で触れた 「趣味=どこに味わいを感じるか」 という考え方にも通じます。
ただこの再定義でも、好きなことは絶対的に趣味と同じである、という考えを支持していません。
好きなことは、必ずしも思考を伴うとは限らないからです。例えば、スマホゲームを気晴らしのためにプレイすることや、流行のカフェに行くことは、「好き」ではあるかもしれませんが、単に消費する行為にとどまり、思考の支配や没入がない場合が多いでしょう。
一方、趣味とは 「心地よい思考に支配される状態」 を生み出すものだと考えています。趣味には、対象への没入と、それを深く味わう行為が含まれます。単に「好きだからやっている」という状態とは違い、「自分がなぜこれを楽しんでいるのか」を意識しながら、その対象と向き合うことが趣味を成立させる要素なのではないでしょうか。
つまり、「好き」という感情があるだけでは趣味にはならず、「思考を伴いながら楽しめるかどうか」が趣味かどうかを分ける要素になると考えられます。
また、一時的な興奮状態や覚醒状態を伴うような事柄そのものは、この定義から外れてしまいます。 例えば、ライブやスポーツ観戦といった体験は、フロムがいうところの「祝祭的興奮状態」を作り出し、孤独感と向き合うための別のベクトルにあると考えられます。[フロム 『愛するということ』より、本書には無い]
つまり、「趣味」とは“仲間との一体感”に重きを置くものではなく、自分自身と対峙できるような事柄である ということです。もちろん、仲間と一緒に楽しむことがあっても、そこに「自己の存在を認識できること」が重要になります。
この観点から考えると、単なる一時的な熱狂や外部からの刺激に頼るものではなく、「思考を通じて自分が何かに没入できるかどうか」が趣味を定義する鍵になるのではないでしょうか。
冒頭で、カテゴライズされた趣味に対して嫌悪感を抱いていましたが、自分の意思で思考し、そこから楽しみを受け取れているのであれば、それが何であれ「趣味」として成立するのではないかと思い直しました。ただこれは、自分は太宰治の『富嶽百景』に出てくる俗なものに対して斜に構えていた主人公をかっこいいと思ってた節があるので、、、
で、この再定義に基づいて自分の趣味は何なのか考えると、やはり趣味=研究になります。
森博嗣の考えは的を射ていましたね。
終わりに
「趣味のは何か」という問いを立てて、自分なりの答えを出してみました。色々とツッコミどころがあるかと思いますが、皆さんにとっての趣味とは何かも聞けることを願っています。
あくまで、自分なりの趣味のあり方について述べているのであって、他者の趣味のあり方を否定し、こうあるべき論をしている訳では無いので、そこは注意してください。
想像より長くなってしまいましたが、最後まで読んでくれた方はありがとうございます🙇
サステナビリティ志向の学生と企業を繋ぐ就活の在り方 -サステナビリティ思考の学生ほど就活に困っている?-
サステナビリティ志向の学生と企業を繋ぐ就活の在り方
年末になると急にブログを書こうとする者です。今回、今年2月にサステナブル・ブランド国際会議2021(SB国際会議)に参加してきた体験記と自分の今後の進路について考えていこうかなと思います。
はじめに
そもそもSB国際会議とはなんなのか。SB国際会議は12カ国で展開されている国際会議ネットワークの一つで、企業・自治体などのサステナビリティを議論、ネットワークを広げていく場として開催されています。
自分は2019年から横浜ユースとしてSB国際会議でボランティア参加をしており、その縁でセッションの枠をいただきました。何について話したのかというとタイトルにもあるとおり、サステナビリティ志向の学生と企業を繋ぐ就活の在り方についてです。
なぜ、就活をしてない自分がこの話題について発表しようとしたのか理由があります。それは、サステナに関わる活動をしている学生ほど就活に困っているのを目の当たりにしてきたからです。志高く活動してきた先輩たちが就活で困っているのです。
明らかにおかしいと思いました。他の学生に比べ、多くの活動をしてきた人たちがなぜ企業に評価されないのか。
そこで、SB国際会議の場を使って、その疑問や解決策を考えていこうと思いました。
セッション
セッションはファシリテーターに島崎 由真氏(One HR 共同代表)、パネリストに
山本 武司氏(キリンビール 横浜工場 総務広報担当 部長補佐)と共に地域活動しているメンバーである川内美月を加え行いました。
目標
セッションを行う上で、目標を立てました。それは、学生と企業お互い離れている状態から議論を通してお互いが歩み寄ることで共に持続可能な社会を目指していく、ということです。(自分の考える持続可能な社会とはなんなのかを話した方が良い気がしますが割愛します)
「サステナブル志向の学生と企業を繋ぐ就活の在り方」について考えていく その1
就活時、サステナビリティに関する活動している学生としていない学生とでは、
- 企業を魅力に感じるポイント
- 不安に感じるところ
が違うのではないかと考えました。この違いを無視し続ければ、SDGsの認知度が上がり活動していく人が増える中で学生と企業との距離がより大きく離れてしまうのではないかと思います。
では、実際違いがあるのか? 横浜市内の学生に向けてアンケートを行いました。

図1は活動の有無による企業への魅力を感じる点の分布を示しています。上位を見ると、活動の有無どちらとも「社内の雰囲気が良い」「成長できる環境がある」「多様な働き方の制度が整っている」に魅力を感じています。しかし、異なる点もある。活動をしている学生は「理念・ビジョンに共感できる」「社会課題解決のための製品・サービスがある」「CSRに力を入れている」に魅力を感じている傾向があったのです。
不安についても同様に調査した結果、「自分のやりたいこと、企業が目指しているものがすり合わせできるか」「自分が行ってきた活動が企業に評価・理解されるか」に対して活動している学生ほど不安に感じていることがわかりました。
今後、活動していく人が増えていけば就活時における学生の企業への価値観が変化していくと考えてもおかしくないでしょう。その変化や違いを無視してはならないと思います。
「サステナブル志向の学生と企業を繋ぐ就活の在り方」について考えていく その2
アンケート調査だけでなくインタビュー形式で実際に学生の声を聞きました。
そこで見えてきたのは
SDGsに取り組んだことを面接で話さなかった ということです。その方はSDGsの取り組みを封印し、表現しやすいアルバイトの話をしたと述べていました。理由は、面接官が興味を持たないから。この事態は学生だけでなく企業にとってもマイナスでしかないと思います。
これに対してキリンビールの山本さんに「当社ではサステナビリティの活動をしている学生を評価する」と述べていただきました。
つまり、企業の姿勢だけの問題ではないということが見えてきたのです。
それは学生の伝え方の問題。学生は自分の活動の価値の言語化と伝える努力を怠ってはいけないということです。
セッションのまとめ
サステナビリティ志向の学生ほど就活に困っているのでは?という疑問から始まったセッションでした。調査した結果、サステナビリティのに関する活動有無で企業への魅力に感じる点に違いがあること、実際に困っていることがわかりました。これから持続可能な社会を作っていくのであれば、企業はサステナビリティ志向の学生への接し方を変えていく、学生は自分の活動を言語化し伝える努力をしていくことをし続けていかなければいけないと思います。このブログでは軽く書いていますが、詳しくは「就活で自分の活動を話せない」サステナビリティ志向の学生が困惑――問われる企業の対応 | サステナブル・ブランド ジャパン | Sustainable Brands Japan
国際会議に登壇したことで
今回、国際会議という場を通じて自分の進路を考えることができました。考えた結果、博士課程に進もうかなと思いました。(めっちゃ皮肉っぽくなってるけど、研究したいからだからな)
これから、SDGsのような17個のゴールを達成すれば良いみたいな考え方では持続可能な社会は到底実現することは出来ないでしょう。目の前にどんな課題があるのかを常に考えていくこと(今回の就活など含めて)が本当の持続可能な社会に必要なのではないでしょうか
最後に今回のセッション、アンケートにご協力頂いた皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました。
運で受かった大学院入試体験記
この記事はTokyo City University Advent Calendar 2020 6日目の記事です。
昨日はケーさんのネイティブな「JSはいいぞ」 - K-Nikkiでした。
技術系の話が続いていますね・・・何を言っているかさっぱりわからないです。ので僕は一般人でもわかるような話をしていきたいと思います()
目次
初めに
今回、僕が夏に受けた大学院入試について話したいなと思います。今年は多くの事柄がコロナによって振り回されています。大学院入試も振り回された1つです。
結果を先に言うと合格したのですが、これは自分の実力なんかではなく、運がよかっただけじゃないのかと自分は思っています。どんなところで運がよかったのか(ラッキーポイント)を示しながら、時系列で合格までの流れを話したいなと思います。
※院試体験談ですが、院に進みたい人が読んでも全くためになりません。
どこを受けたのか
僕が受けたのは東京工業大学大学院 環境・社会理工学院(大岡山)です。
なんでここを受けたのかというと、1年生の時にふとこの学院のK先生のことを知り、研究分野はもちろん研究に対する考え方にとても感激し、K先生のもとで研究したいと思ったからです。東工大だからというよりも、この先生がいたからというわけです。
時系列
さて、それでは合格までの流れを話したいなと思います。
1月
1月上旬から院試に向け勉強していこうと計画を立て、来たると思っていたTOEICに向けほぼ毎日勉強していました。
2月
この月は都市大内で学生表彰が行われ僕は「東京都市大学環境学部長賞」を受賞しました(ラッキーポイント1)。受賞したことよりも驚いたことがありまして、、賞状を渡してくれたI先生が省庁関係の仕事を志望するK先生としていたのです!つまりコネクションがあったということ(ラッキーポイント2)。←コネで受かったわけではないからな(#^ω^)
3月
研究室訪問をしました(ラッキーポイント3)。普通は5、6月くらいらしく、内部生よりも早く1番乗りで訪問していた笑。また、知り合いの博士課程の先輩が志望する系(学科に値する名称)の所属だったので、院の全体の雰囲気を伺いながら大学構内を案内していただきました(ラッキーポイント4)。研究室の雰囲気は一言で言うと最高だと感じました。先輩方が優しい!かわいい
※他大学の院に行こうと考えている人は早めの研究室訪問をお勧めします。僕は運よく3月に行けましたが、他の人はTwitterでみている限り大学がコロナで閉鎖され直接研究室の様子を見に行くことができていませんでした。
研究活動において、どの分野に強い研究室なのかを見ることも重要ですが、ラボス教授の研究に対する考え方や雰囲気、研究室内での学生の雰囲気はとても大事な要素だと思います。この雰囲気を知ることは早め早めのほうがよいに決まってますので、訪問時期は3月ごろがベストかな。しかも早くいくと名前を憶えてくれる特典付き。(2月は卒論等で研究室が忙しいので訪問しないほうがよい)
この時期からTOEICの実施が怪しくなってきます
4月
TOEICの中止。なんのために1月から勉強していたのか分からなくなる。救済措置を大学院側は取ってくれたので良かったです。
スコアを出せないのは仕方ないので、筆記試験の勉強を始めました。文理融合の系でもあるので文系の受験科目を。と同時並行で建築学会大会論文を書いてました。(全く記憶ない)
※TOEICは3年のうちから受けておきましょう
5月
筆記試験に使ってた参考書2冊をそれぞれ2周したので、新しい参考書をAmazonで購入。参考書が届いた当日、院のホームページを見て発狂しました。
なんと、筆記試験の中止が発表されたのです!!!

は???ってなりました。これから何勉強すればよいのか・・・参考書代返せよ・・・。途方にくれました。(この約2か月後、他の学院系も対面での筆記試験の中止が発表された。早い段階で発表されてそれはそれで良かった・・・のか)
6月
試験がどうなるかわからないまま日々を過ごしましたが、この時期に願書を送る必要があったので志望理由書を月初めから書き出しました。書き方がよくわからんかったので、東工大博士課程の先輩に教えてもらったり、教授に添削してもらったりしました(ラッキーポイント5)。一人だったら書けなかったのでものすごく助かりました。内容としては、今まで論文書いてきたんだぞマウントと、研究したい分野、志望研究室への愛を語りました。※志望理由書の書き方が気になる人は、連絡ください。
また、空気調和衛生工学会大会論文を0から締め切りギリギリ1週間で書くという修行をしてました。マジつらかった笑
あ、ちなみにTOEICは受けられていないので、まともなスコアを提出できていません。受験生の中で一番低いと思う。
7月
胃潰瘍になる。寝込みモード。
この時期には願書が受理され試験をA、B日程どちらで受けられるか連絡が来ます。
僕はなぜかA日程に選ばれました(ラッキーポイント6)。しかし、最悪なことに、TOEICのスコアがまともではないので口頭で英語の能力見るよといわれました・・・(詰んだ) 試験日まで残り2週間程度でどうしろと・・・
※受験方式について

受理後、受験生は受験日程をAB別に振られます。日程を学生が選ぶことはできず、大学側が成績等を考慮して選別します。振られる際の基準は示されていませんが、A日程は基本的に内部生並びに旧帝レベルの成績上位者が選ばれると噂されています。万が一A日程で落ちても、B日程を受験できます。なんでA日程に選ばれたんだろ・・・。今年はB日程の筆記試験が中止ですので、試験方式はABで大差なかったです。受験日が早いだけ。
当然、自分はB日程だと思っていたんで、その日までとくに試験対策していませんでした。試験まで残り少ないので大急ぎで、3月の研究室訪問で知った外部入学の先輩に対策方法を聞きました(ラッキーポイント7 先輩もA日程受験だった)。
対策として、
・志望研究室の得意分野である流体力学
・オンライン英会話
・自分の研究
の勉強を主にしました。
試験当日
当日の試験の様子等は話すなよと口止めされているので詳しくは言えませんが、終始良い雰囲気でした。
結果
初めにネタバレしてますが、合格でした。正直、なんで受かったのか謎
これは僕の実力での合格でしょうか?いいえ違います。周りの人たちの支えがあったこと、運がよかったことに他ならないです。ラッキーポイントが多かったでしょう?
なんで受かったのか
ずっと、マイナスな雰囲気が漂っていたので、なんで合格したのか、どこが評価されたのかを自分なりに考えたいと思います。
評価されたポイントとしては、
・志望研究室への愛
・研究能力
だと思います。
志望研究室への愛に関しては、志望理由書で語りまくったのもそうですし、出願の際、志望研究室を10個かけたのですが、K先生のところしか選んでいなかったのがよかったのかな思います。個人的な意見ですが、他大学院に行く際、そこにある研究室ではなく大学名で選んでいる人は研究に向いていないと思います。就活したほうが良いでしょう。
研究能力に関しては、出願時点で学会論文ファースト5本、共著4本と国際ジャーナル共著、受賞実績があったので、それをアピールした結果、評価されたと思います。論文は内容に関係なく学部生のうちに書いておくとめちゃくちゃ褒められます。かけるチャンスがあるのであれば書いたことに越したことはありません。僕の場合、書けるチャンスが目の前にあったので運がよかったといえます。
これから
とまぁ、僕自身、自分の能力でつかみ取った合格ではないと思っているので逆につらいです笑
明らかに、能力不足でしょう。と、なりながら日々を過ごしていたら胃潰瘍再発しました笑。痛い
自分の能力のなさは自分が痛いほど知っているので入学後どうしようかなと・・・
東工大にはリーダーシップ教育院(ToTAL)というものがあるらしいです。自分の専攻をやりながら、ここで様々な分野を複合的に学べるらしいので、掛け持ちしてみたいなと思っています。(選考に受かれば)
周りに上しかいないとき打ちのめされるか、ワクワクするかを選ぶのは自分なので、できるだけワクワクしていきたいなと思います。
博士行くか就活するかはまだ迷っています・・・
最後に
院試に関して助言、お力添えしてくださった先輩方、先生方に今一度感謝申し上げます。
もし、東工大院に進みたいという都市大生がいたら力になります笑
